開発責任者 宮脇編 2

こんにちは。スバル広報部の小宮です。
今朝もチロに起こされました。

プロレスのゴングを待っている状態みたいに、
私の首にべたぁっと腹ばいになって…。
暑いのと苦しいので目が覚めました。
この起こし方は今年見出された彼女の技で、
起こされるのは今朝で3度目。
今日みたいにそんなに暑くない日ならまだいいけど、
このまま何度も続けられたら、
首があせもだらけになってしまうのでは…
と密かに不安が募る今日この頃です。
 
「休日は好きな事し放題だって、
周りのみんなに言われるんだけどさ、
最近やっと自分の時間を持てるようになったんだよ!
いいじゃないかぁ!」
…こんな雄叫びをあげているのは、
ステラの開発責任者 宮脇。
 
今日のステラは、宮脇の人となりに深く迫ってみます。
どんな人がステラを作ったのか!?
ステラのことだけではなくて、
宮脇のプライベートについてもいろいろと
数回に分けてお伝えしたいと思います。
今日は「宮脇の久々の休日」です。
一見恐そうな写真のこの人が、
ステラを開発した責任者の宮脇です。
 
 
宮脇「休みの日に自分の時間を持てるなんて、20年振りくらいなんだ。」
小宮「に、にじゅうねん!? 今まで休日はどうやって過ごされていたんですか?」
宮脇「PTAやったり、高校の時、サッカーやってた関係で、
小学生のサッカークラブを20年近くお世話してたり。」
小宮「サッカーはどこのポジションだったんですか?」
宮脇ディフェンダー三都主や宮本と一緒のポジション。」
小宮「背が高いからバスケットやバレーボールやられていたような、
勝手なイメージを抱いてました。」
宮脇「でもサッカーは高校だけだよ。大学は先生から
『大学でしかやれないことやったら』って言われて、やったことない部活を探したら
ヨットしかなかったから、ヨット部。小学校の時は柔道、中学校の時は
なんだか『暗室』に心惹かれて校内新聞の報道写真班やってた。」
小宮「暗室って…。話ちょっと戻るんですが、PTAやってらしたって、
PTAやられてるお父さんって珍しくなかったですか?」
宮脇「そうそう、当時は珍しかった。自分以外はほとんどお母さんだったよ。
うちは子供ふたりが3歳違いでいて、今は手をかけることはもう無くなったけど、
当時一番忙しかったのは下の子供の保育園と上の子供の小学校のPTA両方やってた時かな。
さらにサッカーだったから、土日は全部つぶれてたね。」
小宮「PTAの皆さんの意見や、今も開発メンバーをうまくまとめる秘訣ってあるんですか?」
宮脇「そんな大げさなものはないよ。そりゃあ皆さんいろんな意見を言うけど、
大切なのは話を聞くことかな? PTAの時は、皆さんの話をそれぞれ聞いて、
そこから子供のためにいい事は?っていうことで調整していったな…。
今では子供たちも大きくなったし自分の子供が卒業しても
しばらくお世話していたサッカークラブも一応引かせてもらったので
やっと今自分の時間ができたの。子育てってとっても大変なんだよ。
特にうちは、かみさんも働いてたから子供はゼロ歳の頃から保育園に預けてたんだ。
かみさんといろいろと役割分担してたけど、大変だったな。」
小宮「というと…?」
 
この続きは、明日お伝えします。それでは。